ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明 CREST 「脳と学習」領域 大隅プロジェクト
瀬川 茂子×大隅 典子 脳をつくるレシピの研究

インタビューを通じて脳研究者の素顔に迫ります。

顔の発生から脳の発生へ

瀬川 まず最初に、先生がこの分野に進まれたきっかけからお話していただけますか。

大隅 私は、時間軸に沿って変化する現象にとても興味を持っていましたので、発生か老化を研究したいと思っていました。大学院に入る時、顔の発生を調べている研究室を選びました。

瀬川 顔がどのようにできるのかということが最初のテーマだったのですか。

大隅 そうです。顔をつくる細胞を追跡することにチャレンジしました。当時、在籍していた東京医科歯科大学の江藤研究室には、マウスやラットの胎児をまるごと、胎盤をつけた状態で、子宮から取り出して培養する「全胚培養法」というテクニックがありました。

瀬川 顕微鏡で覗いて変化をごらんになった。

大隅 はい。例えばマウスだと、受精から約20日で生まれますが、その8日目ぐらいで、取り出します。最初はゴマ粒ぐらい。あまり血液もできていない。ところが、1日たつと、心臓に赤い血液があってばくばく動いているのが見えるようになります。どんどん胎児らしい形になるところを目の当たりにして、本当に生命って不思議だなと思いました。

瀬川茂子瀬川 その中で顔を見ていらした。

大隅 注目していたのは、神経堤細胞と呼ばれる細胞なんです。これは、脳をつくる元になる部分(原基)から出てきて、動いて、あごや鼻をつくるところで働く細胞です。その細胞が動いていくことを証明しました。まず脳のある領域の細胞に色素を入れて標識をつけます。その色のついた細胞の子孫がどこにいくのか調べます。動いている間に増殖もするので、最初に10個ぐらいの細胞に印をつけると、100個ぐらいの細胞になっているんです。細胞は分裂するんだとか、形はこんなふうに変わっていくんだというようなことを、顕微鏡の下で見ていきました。

瀬川 脳と顔はもとは同じ細胞からできあがっていくということを、まさに体感されていたのですね。

大隅 ええ。それから次に、目鼻ができないミュータントのラットの仕事をしました。

瀬川 遺伝子の異常でそんなことが起こり得るんですか。

大隅 動物は遺伝子をペアでもっていますが、その遺伝子が2つとも傷つくと目鼻が全くできません。1つだけ傷つくと、目が小さいラットになります。人でも実はその遺伝子に傷がつくと無虹彩症という目の異常が起きます。その遺伝子が、目の形成に非常に大事であるということを見つけました。その遺伝子は、脳でも働いているので、脳の形成にも重要そうだと思い、脳の研究に入りました。

脳をつくる遺伝子

瀬川 脳をつくりあげる遺伝子を突きとめるということですか。

大隅 1個の遺伝子だけで決まることではなくて、たくさんの遺伝子の組み合わせで決まるんです。私たちは、その中の一つを調べています。Pax6という名前で、転写因子というカテゴリーに属するたんぱく質をコードしているものです。転写因子というのは、子分たちに、ここで働いてお家を建てなさいと命令を出して監督しているような、親分遺伝子です。どこに目をつくるか、脳のこの部分に前脳というお家を建てなさいとか、そういう号令を出す遺伝子です。

瀬川 脳の設計図を解読している…。

大隅典子大隅 設計図のたとえは、わかりやすい言い方ですけれども、固まったイメージになる気がします。むしろ、レシピ。最近は、授業でもパウンドケーキのスライドを見せています。ケーキはでき上がると、いくら細かく崩しても、もともとの卵やバターは見えてこない。ゲノムには、この素材を、いつ、どうしなさいという作り上げる方法まで書いてある。例えば、水と砂糖で砂糖水ができますね。その砂糖水を何度で沸騰させるかによって、カラメルができたり水飴になったりと、全然違ったものになる。

瀬川 遺伝子がいつどこで使われるかにより、大きな違いが生み出せる。

大隅 それが、いちばん大事なことです。チンパンジーと人の遺伝子は1%しか違わないなら、でき上がるたんぱく質としては、そんなに大きく違わない。だけど、いつどこでの部分がちょっと違うと大きな違いを生み出せる。たとえば、脳の細胞があと1回余分に分裂しなさいというだけで、極端に言えば倍の数の脳の細胞ができますよね。コンピュータのプログラムでいうと「if then」になりますが… ifの部分がとても大事です。

脳の発達の研究へのチャレンジ

瀬川 先生のレシピの研究はどこに向かっているのですか。

大隅 生後の脳の発達とその精神機能にアプローチする新プロジュクトを始めました。生後も、脳の細胞が生まれていることが、この10年程、だいぶ注目されるようになっています。私が目をつけているのは、生後のある時期につくられた神経細胞が、特定の精神機能を果たす神経ネットワークに組み込まれいくという部分です。それが正常な発達過程で大事なことで、もし、それが破綻すると、いくつかの精神疾患のなりやすさにかかわるのではないかという仮設を立てました。生後の脳で、神経細胞の新生が起きている領域は海馬と側脳室です。海馬では、1日に約1万個の神経細胞が増えますが、感染やストレスなどで、増殖が一時的に落ちることがあります。これが、病気のなりやすさ、脆弱性につながるのではないかと。

瀬川 生後の神経細胞の増え方が足りないと、あとで精神病になるのですか。

大隅 1つの事例は、チェルノブイリの原発事故の後、ウクライナ地方で統合失調症の発症率が、人口全体で5倍も増加したことです。被爆により神経細胞の増殖が落ちた可能性が考えられます。これは証明はできませんから、動物実験で調べます。神経細胞の増殖が下がった影響が行動にどう結びつくのか。

瀬川 神経細胞の生産が下がるということは、どういう遺伝子の働きが落ちてるからか? と突き止めて、遺伝子と細胞と行動を結びつける計画ですか。

大隅 はい。まず、脆弱性にかかわる責任遺伝子を明らかにして。さらに、脳にとって必要な栄養をどうコントロールしたら、神経細胞を増殖させる方向にもっていけるのかを明かにしたいです。それは予防法の研究につながるはずですので。

瀬川 壮大な計画ですね。

大隅 私は、ミステリー好きなんです。「犯人はだれだ」と捜しながら読むのが好きです。論文や自分の実験結果から考えて、これが犯人じゃないかと仮説が浮かび上がり、さあ、これを解くぞという時が一番おもしろい。今、非常にエキサイティングです。      (文責 瀬川茂子)

大隅典子・瀬川茂子プロフィール
大隅典子

東京医科歯科大学歯学部卒。歯学博士。同大学助手、国立精神・神経センター神経研究所室長を経て、1998年より東北大学大学院医学系研究科教授。専門は哺乳類の神経発生。著書に『神経堤細胞』(共著、東京大学出版会、1997)、訳書に『エッセンシャル発生生物学』(羊土社、2002)、『心を生みだす遺伝子』(岩波書店、2005)などがある。
瀬川茂子

東京大学理学部卒。米マサチューセッツ工科大科学ジャーナリズムフェローをへて、 1991年朝日新聞社入社。科学部、科学朝日編集部などで、基礎科学、先端医療等を取材、現在アエラ編集部員。著書に「不老不死は夢か 老化の謎を解く」(講談社、 2004)がある。
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