ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明 CREST 「脳と学習」領域 大隅プロジェクト
伊佐 正×大隅 典子 脊髄損傷に迫る vol.1

伊佐氏との対談を2号に分けてお届けします。

Profile
伊佐 正(いさ・ただし)

1985年東京大学医学部医学科卒業、同大学院博士課程、スウェーデン王国イェテボリ大学留学、東京大学医学部助手、群馬大学医学部講師、助教授を経て1996年より現職。眼球運動と手の運動を制御する神経回路の働きを調べることが仕事の中心ですが、最近は損傷後の機能回復やメカニズムや注意・意識といった認知機能にも手を出しています。細胞、回路、個体と様々に異なる階層で実験を通じて得られる知見を有機的に統合して脳全体の働きを理解する思考過程に脳科学の魅力を感じます。

大隅 大学に入られる頃から、神経や脳に興味を持っておられたんですか。

伊佐 いいえ。大学に入った時は外科系の医者になりたかったです。脳は、難しそうだし。友人の中でも「脳に興味がある人」なんでいうのはいかにも賢そうな人で、難しそうな本を読んで、難しい言葉で語っている…。そういう感覚がありました。

大隅 私も…。それで神経に行かずに、発生のほうに行ってしまったという感じです。

伊佐 たまたま、医学部2年生のとき、東京都老人総合研究所の佐藤昭夫先生という方が講義に来られました。それがきかっけとなって、佐藤先生の下で研究をさせてもらいました。麻酔下のネズミで、皮膚に刺激を加えると、交感神経系の活動がどう変わるかといったことを調べました。先生がおだて上手だったということもあると思いますが、現象が非常に面白くて、はまってしまいました。でもその時は、末梢神経を刺激して末梢神経から記録を記録を取るだけで、中枢神経は完全にブラックボックスだったんですね。大学を卒業するころ、もう少し中枢神経のことを知りたいと思うようになり、大学院に進むことにしました。東大の脳研の生理学の研究室で、今度は、視覚刺激に対して目や首を動かす神経回路についてネコで調べました。

大隅 ネコの実験は大変だったんじゃないですか。

伊佐 ええ。体力で勝負みたいなところもありました。しかし、努力したらしただけのことはあり、少しずつ理解が進んでいく。それが楽しかった。

大隅 なるほど。結局そのまま基礎医学の道を進まれたのですね。

伊佐 そうです。大学院の4年目ぐらいで、教授から、スウェーデンの先生が人を探していると言われて、留学しました。イェテボリ大学のアンダース・ルンドバーグ先生で、脊髄の研究で非常に有名な方です。

大隅 そこで、実験に明け暮れた…。

伊佐 60〜70年代ならたくさん実験ができたと思うんですが、僕が留学した頃、スウェーデンは、動物実験の反対運動が非常に激しかったんです。注射1本打つにしても、申請書を書き直したりしなければいけない。倫理委員会に動物愛護団体の方も入っていて、査察に来るんですよ。
実験で使っていた脊髄損傷のネコを見せたりしました。ただ、わりと運がよかったのは、その代表の方が話せばわかる方だったんです。こちらが適切な処置をしていることと実験の重要性を理解していただき、逆に、動物実験施設に寄付をしてもらったりしました。

大隅 ある意味でいい体験をされたのではないですか。

伊佐 そうですね。研究は困難でしたが、いろいろと考えることができました。2年留学して、日本に帰って大学の助手に戻りました。そこでは、大学院のときの首の運動についての研究にもどったのですが、さらに発展して、一見非常に複雑に見える運動も、単純な組み合わせで成り立っていることを突き止めることができました。首の運動というのは何十個も筋肉があって、一見、非常に複雑に見えます。しかし、脳には、水平成分の首の運動を支配する場所と、垂直成分を支配する場所が分かれている。いろいろな方向の運動はそれらを組み合わせでできることを示しました。

大隅 それから群馬大学にうつられたのですね。

伊佐 ええ。いろいろな事情があって、そこでは一度、完全に仕事を変えました。始めたのは、神経伝達物質グルタミン酸の受容体です。脳の組織を薄く切ったスライスで、グルタミン酸受容体を構成する部品の違いと生理学的特性の違いの関係を調べる実験です。競争が激しい分野で、ぼくらの結果と同じことを、世界中で六つのグループがほぼ同時に気づいた。あわてて「ニューロン」に投稿したけど、1週間遅れで負けたとか、そういう世界でした。

大隅 それで、研究の幅を広げられたのですね。その後、群馬から生理研にうつられてますね。

伊佐 群馬で3年弱たったところで生理研にうつりました。まだぼくは若くて35歳でした。そこでまた考えて、大学院時代にやっていたサッケードという目のシステムに戻り、腰をすえて新しいプロジェクトを一から始めることにしました。

大隅 サッケードをわかりやすく説明していただけますか。

伊佐 対象を注視するために、目を動かす素早い眼球運動のことです。

大隅 注視ですね。

伊佐 はい。目から入った情報は、中脳の上丘とよばれる部分に入ります。上丘は、下等な動物から存在しています。鳥や爬虫類の脳では、上丘(視蓋)がいちばん偉そうにしています。哺乳類になると大脳が発達してきて、上丘は目立たなくなります。霊長類は大脳がとても大きくなりますが、それでもやはり上丘を使って目をコントロールしています。つまり、上丘は、古い脳の代表選手なんだけれども、われわれ高等動物でも、眼球運動の制御に非常に重要な役割を果たしている、という大変面白い部位です。上丘は層構造になっています。浅い層には、視覚ターゲットの位置に対応する空間地図があり、深い層からはサッケードのベクトルに対応する地図があります。われわれは、浅い層から深い層にちゃんと統合があるということを証明しました。そして、このような結合があることと、サッケードの反応時間のピークが二つに分かれることとの関係を明らかにすることができました。

大隅 二つと言いますと……。

伊佐 視覚刺激が出てから目が動くまでの時間を計ると、通常のサッケードの平均は200ミリ秒ぐらいです。ただし、注意がかかっている状況で刺激を与えると、100ミリ秒ぐらいと短くなり、「エクスプレスサッケード」と呼ばれています。これは、それぞれ違う神経回路を使っているためだろうと。近道と遠回りですね。遠回りはたぶん大脳皮質を介していると思われます。一方、近道は視神経が上丘の浅い層に入り、深い層に直接出ていくのだろうということを示すことができました。

大隅 動くものに対して反応しやすいということですか。

伊佐 厳しい野生の環境下で生きていくなかでは必要なシステムだったのでしょう。実験で、暗闇の中に注視点をつくり、そこをずっと注視していると周辺にパッと刺激が出るようにします。まだ注意が残っているうちに別のものを見なければいけない状況をつくると、反応時間が遅くなります。ところが、パッと消して何もない状態をしばらく作って、「どこに来るのかな。こっちかな」と思ったところにパッと来ると、反応はすごく速くなる。

大隅 それは予測しているということですか。

伊佐 ええ。予測とうまく合うと速くなる。このようにして上丘のシステムと予測という高次機能との関係を神経回路レベルでとらえることができました。それが生理研に来て最初の四、五年ぐらいの主な仕事でした。

大隅 脊髄のお仕事はそれからですか。

伊佐 98年に、ロンドン大学のレモン教授らのグループが、サルで、脊髄の錐体路と呼ばれる神経回路と運動神経細胞は直接つながっている経路がほとんどで、間接経路はほとんどないという論文を書いたんです。ところが、ネコでは錐体路が運動ニューロンに直接つかないので、1個中継ニューロンを介してつながることが分かっていました。それで、実験して、サルにも間接経路があることを示しました。ロンドンのグループの結果は、通常の麻酔科の実験で、間接経路に非常に抑制がかかってしまったのだと考えたのです。そして実際に抑制をとると、間接的経路の存在が見えてくるという論文を99年に発表しました。その頃、間接経路がないといったレモン教授とは、いろいろな会議に行くたびに激しいやりとりをしました。

大隅 学会でディベートされるというのは健全な学問のあり方だと思いますね。

伊佐 ええ、そうですね。そして、その研究をもとにして、脊髄損傷の研究をやろうと思うようになりました。脊髄損傷の研究というと、脊髄をどう治すかという話になりますが、そこにあとから参入するのもなんなので、人と違うことを自分のペースでやりたいと思っています。

大隅 研究はそうあるべきと思います。

伊佐 サルの脊髄を片側半分くらい切っても、半年ぐらいすると、どちらが損傷されていたかわからないように完全に治ります。

大隅 それはすごいですね。

伊佐 ただ、まったく前と同じかというとそうではない。あるときそのようなサルに麻酔をかけたところ、意識が落ちてくると、再び麻痺が出てきたのを見ました。いったん治ったように見えても、やはり脳の使われ方はたぶん違うのだろう。麻酔で最初に活動が落ちるのは、より上位の中枢ですから、治ったほうの脳は相当活動を上げて無理して、何とか機能を保っているのだろうと考えました。そのことから、上位の中枢でも、回復の過程で、かなり神経回路が新たな機能を獲得しているのはないか、そう思うようになりました。このようにして、ぼくもやっと大脳皮質に挑戦していこうという感じになったんです。(笑)

大隅 脊髄が損傷を受けて治るときは、脊髄のその部分だけが治るわけではなくて、いったん断たれた回路を使おうとしたときに、中枢神経系のほかの部分、脊髄ではなくて、例えば運動にかかわるような脳の部分が、新たな回路を獲得するということですね。

伊佐 これからは、回復過程で働く遺伝子についても調べてみようと思っています。

………この対談の続きは、次号vol.9号へ掲載されます。

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