ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明 CREST 「脳と学習」領域 大隅プロジェクト
ヘンシュ 貴雄×大隅 典子 脳のやわらかさ vol.2

前号から引き続きヘンシュ氏との対談をお届けします。

大隅 いま世間では脳科学に対する関心が高まっていると感じますが、脳科学の方からは、どんなことを提示できると思いますか。

ヘンシュ 研究が進むことによって、いろいろなことがわかってきます。しかし、たとえば、臨界期は、その子の将来を決める大事な時期ですから、そこを下手に操作してしまうと、おかしな発達が起こる可能性があります。むやみにいろいろな刺激を与えたり、根拠がないようなことをしてはいけないと思っています。

大隅 もっと研究が進めば、治療に役立つようなこともわかる可能性がありますね。

ヘンシュ はい。臨界期の基礎原理がわかってくると、どの時期どういった刺激を与えることによって、正常に持っていけるかということが考えられます。正常の定義は難しいところですが、理想的な発達に持っていけるかということです。実際に動物モデルでは、時期を操作することが可能になっていますから、うまく活用することによって、臨界期の異常を示した子どもたちにとって、何らかの救いになる可能性があります。
例えば自閉症の一種にレットシンドロームというものがあります。これは主に女児がかかり、これまでは治療法がない病気とされていました。今年の2月にレットシンドロームのマウスモデルで、大人になってから、この病気で欠けている分子を戻すことによって、完璧に治すことができました。

大隅 この病気の子供の親たちにとってはとても期待がもてるデータですね。

ヘンシュ この分子が原因ということが、99%確実でしたので、可能な実験でしたが、そうした成功例を元に、いろいろな病気の脳の神経回路レベルを考えて、治療することができるようになると思います。しかし、逆に、正常なわが子の脳の発達をプラスアルファにしようと思われる親たちには、注意の言葉が必要かと思います。アメリカで、集中力が低下しているために、学校でうまく成績が上がらないADHDの子供たちに、リタリンという薬を使うのですが、正常なわが子にもリタリンを与えて集中力を高めて、さらに優秀な学生にしようと思うお母様方がいらっしゃいます。

大隅 それはどうかという話ですね。ブレイン・マシン・インターフェイスという、脳と機械をつないで、脳の信号をとりだし、コンピューター操作ができるようにする試みがあります。脊髄損傷の方が使えるようになるのはいいことだと思います。でも、非常に強力なサイボーグを作るのはどうなのか。そういう方向が行き過ぎていいのかというと、ちょっと違いますね。

ヘンシュ そうですね。自然を超えたようなことはあまりお勧めできない。あるいは一つの実験結果から極端な応用をすることもいけない。臨界期を早めることができれば早いほどいいではないかという解釈は間違っています。臨界期はいくつかの段階を経て、特定の脳機能を組み上げます。すべてを一気に早めてしまうと、最初の段階がまだ未熟な状態で次の段階が形成されてしまうおそれがあります。

大隅 そうですね。

ヘンシュ 私たちは、ベンゾジアゼピンという薬を使ってマウスの臨界期を早めることができました。これはてんかん発作を抑える精神安定剤ですから、臨床医がよく使う薬です。もちろん発作を抑えるのが目的ですが、副作用として、臨界期が早まって開始する可能性が考えられます。

大隅 小児のてんかんはかなり多いですからね。

ヘンシュ ええ。いま小児病院で、そういったケースがあるのかどうかみています。実際に人の子どもの脳の発達に何か影響があるのか。よい影響とは思っていません。未熟な脳に臨界期を開始させることによって、未熟な視力が定着するということが考えられます。

大隅 CRESTの研究でも何かされていますか。

ヘンシュ 鳥のさえずり学習をモデルとして同じような結果を得ています。鳥は3段階の臨界期をへて、歌を歌うようになります。まず、親の歌を聞いて、それを暗記します。次に、それをテンプレートとして、未熟な発声から始まって立派な歌にまで磨いていきます。そこで、実験ですが、暗記する最初の段階にベンゾジアゼピンを投与すると、臨界期が早まったかのように、未熟な歌が定着して、固定化されます。歌は鳥にとっては交尾に重要な機能を持っていますから、ラブソングがうまく歌えないと、行動に影響すると考えられます。

大隅 教育についてもいろいろとお考えになっていらっしゃるでしょう。

ヘンシュ 臨界期の概念は、教育にとって、とても重要ではないかと考えられます。一言で臨界期はどれくらいの期間であるかはお答えできませんが、だいたいの機能は生後6歳から8歳ぐらいまでに成立してしまいます。それを考えると、小学校に上がる前の時期が最も重要であると考えられます。最近、脳科学と教育を結びつける動きが、日本国内でも国際的にも見られています。正式な学校以前の期間が、最も重要ではないかという見方になってきています。

大隅 たとえば、外国語の習得とか。

ヘンシュ 全世界どこへ行っても共通ですが、外国語の勉強は中学校から始まります。言語の臨界期は長いものなんですが、だいたい12歳ごろまでにはネイティブの発音や文法の理解が身についてしまいます。ちょうど中学校に上がるときには、臨界期が終了しています。なぜ臨界期の終わりをねらったかのうような時期に、外国語の勉強を始めるのかと疑問がわきます。最近の発達心理学者の結果から見ると、生後6ヶ月ごろに聴覚の訓練が始まらないと、ネイティブの発音を理解する基本的な神経回路の形成が終ってしまうおそれがあります。

大隅 でも、別の考え方の方もいらっしゃいますよね。つまり母語がしっかりしない時に、二つの言語を並行して学習するということは、脳に対して非常に過度な負荷をかけているのではないか。そういう考え方の方もいらっしゃると思うんです。

ヘンシュ それは伝統的な教育学者の発想だと思います。言語がバッティングするのではないか。たしかにそういう現象も見られます。しかし、脳の基本的な「マップ」とよばれる基本的な神経回路をつくっておかないと、あとで、それを使おうと思っても、ないものは使えませんので、とりあえず作っておくことが重要だということが、動物実験からは示されます。帰国子女の経験話からも、似たようなことがわかります。脳科学を理解することによって、どういう刺激の与え方をするのがよいか、ということもわかるようになります。

大隅 社会とのかかわりを私たちの研究フィールドで考えますと、遺伝子ですべてのことが決まってしまうと思っている方たちがまだ非常に多いんですね。例えば、精神病にかかる確率が何パーセントですと、遺伝子でわかることになったら、自分の運命がそこに書き込まれてしまっているということで、非常におそれたり、拒絶されたりする方が多いように思います。そういったものではないということを、私たち脳科学者が常にきちんと説明していかなければいけないと思っています。遺伝子の働きは、生まれるところまでではなく、学習などの外からの刺激によってその働き方が変わる。毎日、遺伝子が働いているから、生活できている。そういうお話を市民向けの講演などでするようにしています。

ヘンシュ そうですね。環境によって遺伝子の働き方を変えることはできるでしょうね。ここは阻害しているけれども、ほかの機能を発達させることによって十分に補えるということもできるでしょうから、絶望的になってはいけないと思います。

大隅 最後にヘンシュ先生は、理化学研究所のほかに、米国に研究室をもたれ、行ったり来たりでたいへんだと思いますが、日米の比較で、何か、ご意見はございますか。

ヘンシュ いちばんの違いは、アメリカは研究者人口が多いということです。とくにボストンは大学が集中していて、情報が早い。お互いにうまく手を組んで、何か目標をたてて一緒に仕事をするにはいいですね。しかし、競争は激しい。日本の神経科学会に参加すると、ちょうどいい人数で、みんなで仲良く仕事ができるような印象を受けますが、違いますか。

大隅 私自身はそう思いますが、刺激が足りないといわれる方もあります。また、日本の場合、コミュニケーションの取り方のベースが違うのではないかと思うことがあります。

ヘンシュ 米国では、いくつかのラボが共通の機器を使い、そこで自然に会話が始まり、意見の交換があり、共同研究が生まれます。

大隅 東北大学では、今回、グローバルCOEの脳科学の拠点ができました。生命科学研究科や医学系の14人ぐらいのメンバーですが、そのインターアクションをどううまく発展させるかを今、考えているところです。共通機器で交流が生まれるというのは、大事なポイントですね。

Profile
ヘンシュ 貴雄(へんしゅ・たかお)

1988年Harvard大学卒業後、東京大学医学部にて修士号。1991年ドイツMax-Planck研究所のFulbright研究員を経て、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)にてHHMI大学院生、修士(医学)取得。1996年より理化学研究所・脳科学総合研究センター神経回路発達研究チーム・リーダー。2000年から臨界期機構研究グループ・ディレクターを兼務、理研長期在職権付研究員。2006年よりHarvard大学教授(Center for Brain Scienceとボストン小児病院)。2001年にブレインサイエンス振興財団「塚原仲晃記念賞」、2005年に北米神経科学会Young Investigator賞、平成18年度文部科学大臣賞等受賞。
著書には「頭のいい子ってなぜなの?」(海竜社)

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