ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明 CREST 「脳と学習」領域 大隅プロジェクト
ヘンシュ 貴雄×大隅 典子 脳のやわらかさ vol.1

ヘンシュ氏との対談を2号に分けてお届けします。

Profile
ヘンシュ 貴雄(へんしゅ・たかお)

1988年Harvard大学卒業後、東京大学医学部にて修士号。1991年ドイツMax-Planck研究所のFulbright研究員を経て、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)にてHHMI大学院生、修士(医学)取得。1996年より理化学研究所・脳科学総合研究センター神経回路発達研究チーム・リーダー。2000年から臨界期機構研究グループ・ディレクターを兼務、理研長期在職権付研究員。2006年よりHarvard大学教授(Center for Brain Scienceとボストン小児病院)。2001年にブレインサイエンス振興財団「塚原仲晃記念賞」、2005年に北米神経科学会Young Investigator賞、平成18年度文部科学大臣賞等受賞。
著書には「頭のいい子ってなぜなの?」(海竜社)

大隅 ヘンシュ先生のお母様は日本人で、お父様はドイツ人…。

ヘンシュ そしてアメリカ育ちです。東京生まれなんですが、2歳のときに渡米して、大学卒業後に日本に留学しました。私は、小さいころからずっと並行して3カ国語を話していました。母と話す時は日本語、父とはドイツ語、外では英語と分けて身につけましたので、混乱することはありませんでした。兄弟がいるとそのルールが崩れてしまったかもしれませんが、私は一人っ子なので、自然にできました。

大隅 私が1歳のときに、母が私を置いてアメリカに1年ほど留学しました。そのとき、アメリカの子ども向けの歌のレコードや、絵本をたくさん送ってくれましたので、すごく小さいころから英語の歌を聴いていました。英語自体は小学校3年生ぐらいから習いました。

ヘンシュ お母様からのおみやげということで、集中してお聴きになったことがよかったのではないでしょうか。アメリカの発達心理学者の面白い実験結果があります。6カ月から9カ月の赤ちゃんに、週3回、30分ずつ中国人の先生と遊んでもらいました。1カ月間で、合計5時間ぐらい中国語を聞いたことになりますが、赤ちゃんたちは、中国語を母国語とする人たちと同じように、中国語に特異的な発音を認識できたそうです。別のグループに、その先生のビデオかテープだけを聞かせたところ、その子たちはいっさい学習していなかったという結果が出ました。人とかかわることが、赤ちゃんたちにとって何らかのよい意味をもっていて、集中力が高まり、中国語が重要と認識され身についたけれど、テープではその効果がなかったと解釈されます。この例からいうと、お子さん向けの教育ビデオなどをどんなにたくさん見せても、子どもにとって重要と認識されなければ身につかない。あるいは、へんなふうに身につくという心配もありますので、まだまだ環境と脳の発達について、研究する必要があります。

大隅 6か月から9か月というと、「臨界期」の初期の頃でしょうか。

ヘンシュ はい。「臨界期」は、脳神経回路が形成される過程のなかで、環境からの刺激に応じて神経回路網の再編、組み換えがいちばん強く見られる時期です。経験が遺伝子プログラムに強く影響する時期ですね。臨界期は、私の研究テーマです。十数年前、ちょうど、遺伝子操作で、マウスの特定の遺伝子の働きをなくしたり、変えたりする技術が脳科学に応用された初期の頃なんですが、臨界期についてマウスで研究できないかと思って始めました。

大隅 先生は発達段階を研究していらっしゃいますが、私は、その前の初期の脳ができあがるような時期と、大人になってから脳の神経細胞が生まれるところを見ています。昔は、3歳ぐらいのときに脳細胞の数がいちばん多くて、あとはどんどん死んでいくだけと言われていましたが、15年くらい前から、大人の脳でも神経細胞が生まれていることがわかりました。できあがった脳というのは、コンピュータの素子がピッシリ入っていて、入力によってつなぎかたが変わるだけではなく、素子が新たに加わっていくという見方になりました。大人の脳でも神経細胞が新たに生まれることができるのは、神経幹細胞がずっと残りつづけているからです。そして、最近、わかってきたことは、生まれる前の赤ちゃんの状態で使われている分子メカニズムが、大人の脳のなかでも働いているということです。ヘンシュ先生のところでいちばんホットな研究というと何でしょうか。

ヘンシュ 臨界期の脳の柔軟性を「可塑性」とよびます。私たちは、遺伝子を操作して、生後の脳の臨界期を操作することに成功しましたが、その臨界期の可塑性を今度は大人によみがえらせる手法を調べています。

大隅 CRESTのプロジェクトに含まれていますか。

ヘンシュ はい。二つほどおもしろい結果が出つつあります。一つは、発生段階で使われた分子が、発達期に別の役割で現れることです。生後の脳では、できあがった神経回路の活動に応じて可塑性が起こりますが、そのとき発生段階の分子がおもしろい役割を果たしていそうです。もう一つは、可塑性が起こっていけない時期に起こらないようにさせるブレーキ的な分子がわかってきました。可塑性が起こらない、つまり柔軟に脳が組み換えられないようにする分子が、いくつか存在しています。もしかしたら、可塑性を引き起こすメカニズムは常にあり、それをうまく抑えることで、臨界期らしき現象が現れているのではないかと考えています。

大隅 ブレーキのほうが大事かもしれないということですね。刺激はこの程度しかないということがわかれば、必要以上にいろいろな可能性を残しておく必要がない。だから、そこはもうシャットオフしてしまう。フレキシブルにしておくと、生物は大きなエネルギーを必要とするので、閉じてしまったほうがエネルギー的に得をするのではないか。生物の上手なストラテジーのような気がしますね。

ヘンシュ 限られた環境に生まれ育ったマウスやネコは、臨界期に脳回路をある程度固めておくと、先生がおっしゃるように、節約になります。ところが、人の環境は変化し続けます。たとえば、飛行機に乗って、急に環境が変わって、その環境に適応できないということが起こります。また、大人になってからも第二外国語を獲得したいとか、新しいスキルを身につけたいとか思うと、ブレーキ的存在が困ります。臨界期はどちらかというと邪魔な存在になっています。

大隅 でも、新しいことを記憶するようなことに関しては、あきらめなくてもいいのではありませんか。海馬では、新しく神経細胞が生まれています。海馬は、記憶の入口と位置づけられ、短期記憶などがそこにまず定着するのではないかと言われています。そこに新たな神経細胞が生まれてくるということは、可塑性そのものを見ている可能性が強いのではないかと思っています。残念ながら脳のすべてで神経が生まれているわけではありませんが。

ヘンシュ そうですね。機能別に臨界期は強く現れたり、ゆるく現れたりします。

大隅 大人の脳の神経新生がうまくいかないことと、うつ病などが関係しているらしい証拠が多数出てきています。新たな神経細胞の産生をうまく維持できることが、心の営みに重要ではないかということです。そういう観点から、研究の応用の出口の方向として、私たちは特に栄養という観点を考えています。栄養で、神経新生をよくすることができれば、しかも副作用が非常に少ないようなかたちで行うことができれば、とてもベネフィットがあるのではないかと思っています。

ヘンシュ そうですね。私は、最近、自閉症などは、臨界期の異常ではないかと考えています。自閉症はいまアメリカで増加していて、160人に1人が自閉症という高い率になっています。この原因はよくわかりません。病気が認識される率が高くなっただけなのか、実際に増えているのかはわかりません。
私たちの研究で、大脳皮質にある2種類の神経細胞、興奮性細胞と抑制性細胞では、抑制性細胞のほうが臨界期の開始の時期設定をしていることがわかっています。興奮と抑制のバランスがうまく取れない場合に、統合失調症や自閉症につながる可能性があります。遺伝子の研究からも、興奮と抑制を調整する遺伝子がかかわる可能性が見えてきています。特に自閉症は、3歳以降に正常な発達過程からずれますので、臨界期の神経回路網を組み換える大事な時期に、環境からの影響を受けて症状が出ていると考えられます。

大隅 自閉症の場合には、臨界期が早く閉じてしまうのですか。

ヘンシュ 仮説としてはそうです。早く閉じたり、後ろにずれたりするのではないかと。いま、ボストン小児病院で研究をしていますが、興奮と抑制のバランスを操作すると、少なくともマウスでは、臨界期を後ろにずらす、あるいは早めることができます。もしかしたら、自閉症では、ある脳機能は、臨界期をまだ迎えていない。別の脳機能は臨界期を早く閉じてしまい、天才的な面もあるし、機能が発達しない面もあるということになるのではないかと思います。

大隅 いまお話を聞いていて、興奮性と抑制性のバランスのところが非常に重要だと思いましたが、そこにもう一つ、私としては「役者」を加えたいと思うんです。それは、グリア細胞といわれるものです。グリアは、日本語では、神経膠細胞といいます。グリア細胞の一つ、アストロサイトは、血管と神経細胞の間の橋渡しの役割をしています。例えば血管のなかに入ってくるいろいろなホルモンやサイトカインなどの分子や栄養を神経細胞に届ける。そこの微調整が悪いと、いろいろなアンバランスが起きてくる可能性があります。

ヘンシュ グリア細胞は、神経細胞のつなぎめである「シナプス」の形成にかかわっていることが最近わかってきています。先ほど言っていた、大人になってからのブレーキ的存在にかかわる可能性があります。

大隅 私たちがモデル動物として使っている中にも、神経細胞の異常とともにグリア細胞の異常が見られるものがあります。もしかすると、両方大事なのではないかと思い、二つの方向からアプローチしはじめたところです。

………この対談の続きは、次号vol.7号へ掲載されます。

Copyright(C) 2005,2006, CREST Osumi Project, All Rights Reserved.
このサイトについてのご感想・ご意見につきましては、info@brain-mind.jpまでお寄せください。