ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明 CREST 「脳と学習」領域 大隅プロジェクト
瀬川 茂子×真鍋 俊也 長期に持続する記憶は海馬で作られる

インタビューを通じて脳研究者の素顔に迫ります。

Profile
真鍋俊也

京都大学医学部卒。医学博士。カリフォルニア大学サンフランシスコ校薬理学講座博士研究員および常勤研究員、東京大学医学部助手および講師、神戸大学医学部教授を経て、現在は東京大学医科学研究所教授。専門は神経生理学。著書に「神経回路の機能発現のメカニズム(共著、蛋白質・核酸・酵素、2004)」、「遺伝子制御による選択的シナプス強化・除去機構の解明(共著、クバプロ、2005)」、「脳・神経科学集中マスター(編集、羊土社、2005)」などがある。

この道に入られたきっかけは?

真鍋 子供の頃から脳に興味をもっていました。どうしてヒトは言葉をしゃべることができるのかな、どうしてものを考えたり覚えたりすることができるのかなとか、考えていました。中学生になって研究者という職業があることがわかり、なろうと決めました。高校生になってから大学受験案内などの本を調べていて、脳の研究で有名だった京都大学の医学部を選びました。

瀬川 一直線にこれまでこられたというわけですね。

真鍋 最初は、ラットを使って、筋肉から脊髄につながる神経を調べていました。筋肉を使わなくなると、神経にどんな変化があるのかみていました。神経は細胞体から長い軸索と呼ばれる突起が出ていて、他の神経細胞とつながっています。神経細胞どうしのつなぎ目をシナプスといいます。シナプスから情報が入ると、神経細胞の中で電気的な興奮が起こります。細胞に電極をつけて、刺激して活動電位をはかるのですが、最初はなかなかうまくいきませんでした。活動電位が出るとオシロスコープの波形でわかります。初めて実験がうまくいって、オシロスコープにきれいな波形をみることができたときは本当に感動しました。

電気生理の実験風景。記録された電気信号はコンピューターにとりこまれ、デジタル解析される。

瀬川 神経の活動が実感できたということですか。脳は神経細胞がネットワークをつくり、そこを情報が流れることで働いている。活動電位は、そのネットワークの特定の部分に情報が流れたということをはっきりと見せてくれたということですね。これが脳のあちこちで起こっていて、複雑な情報処理をしているのだなあと…。

真鍋 はい。本で読んで原理は知っていましたが、実際に目の前で起こっていて、その活動電位をやっととらえたと、本当に感動しました。このとき、電気生理学の実験方法を一から学び、あれこれ試したことが、その後の研究に役立っています。昔は、実験装置も簡単でしたから、手作りの部分も多いし、もちろん修理もしました。それで実験装置の原理を学べるし、データの解釈も深くなります。

瀬川 最近は、そうではないのですか。

真鍋 装置が複雑に精密になって、自分たちでは修理できなくなってきたということもありますが、何か困るとメーカー頼みになって、装置の中身はわからなくなってきてますね。

瀬川 昔は、何でも自分でやらなければ前に進めなかったと…。

刺激・記録装置。生きたままの脳切片から神経活動を記録することができる。安定した精度の高い記録を取るために、日々細心の注意を払っている。

真鍋 これだけ実験できるようになったら、どこででも一人でやっていけるという自信がつきました。それで、米国のカリフォルニア大学サンフランシスコ校に、ポスドク(博士取得後研究員)として行き、前から興味があった海馬の仕事を始めました。

瀬川 海馬ですか。

真鍋 海馬は、脳の深いところにあり、記憶の中枢として知られています。海馬が記憶にかかわることは、てんかんの治療のために27歳の時に手術を受け、海馬を切りとったH・Mさんが、ものを覚えられなくなったことでよく知られるようになりました。彼は自分の名前や家の位置など、手術より前に覚えたことは思い出せるのに、手術の後に会った人は覚えられませんでした。記憶には、短期の記憶と長期の記憶がありますが、海馬は、短期の記憶をつくり、その中で大事なものを長期的記憶に置き換えていく場所と考えられます。長期的な記憶は大脳皮質に送られると考えられています。

瀬川 どのように記憶を蓄えるのでしょうか。

真鍋 神経の興奮を伝える軸索は、活動電位という信号をそのまま伝えるため、ここに蓄えることはむずかしい。軸索が次の細胞につながるシナプスはどうでしょう。ここで軸索を伝わってきた電気の信号が、神経伝達物質の受け渡しという化学的な信号に変わります。シナプスを高い頻度で活性化すると、情報の伝達効率が高くなることも知られています。この変化は長期的に続きますので、「長期増強」と呼ばれます。シナプスの性質が変化することで記憶を蓄えていると考えられます。

瀬川 ものを覚える前と後では、海馬の中で何らかの変化があったはずだ。それは、特定のシナプスで情報の伝達効率が変わったことに対応すると。

真鍋 大ざっぱにいうと、情報伝達の効率がいいとは、何かの情報が入ったときに、すぐにすっと別の情報を思い出せることだと考えてもいいでしょう。

瀬川 たとえば、「Aさんは●●大で働いている」という話を聞いた後、Aさんの顔を見ると「●●大」をすっと思い出すとか…。

真鍋 「長期増強」という現象で、海馬の中の特定のネットワークが強化される。それを何度も繰り返して、重要なネットワークということになると、大脳皮質にその情報が送られて、しまわれる。私はそういうイメージをもっています。

瀬川 長期増強のしくみはわかっているのですか。

真鍋 シナプスでは、神経伝達物質の受け渡しがあります。効率よく神経伝達物質が受け渡されるために、何が起こっているのかということですね。考えられるのは、物質の放出が増える、あるいは、受け止める効率が上がるということで、どっちなのか、長い間議論になっていました。変化するのは、受け渡しの前の細胞か後ろの細胞か、という議論です。われわれの研究で、だいたい後ろだろうということになってきました。どういうことかというと、神経伝達物質を受け止める受容体の数が増えるのです。強い刺激を与えると、通常は使わない受容体が活性化し、それによって、細胞内にカルシウムイオンが入り込み、さまざまな変化を起こして、最終的に受容体の数を増やすのです。

瀬川 細かいしくみを聞くと、そうなのか、面白いなと思うのですが、自分の頭の中でそんなことが起こっていて、ものを覚えているのかと考え始めると、どうもギャップがあるというか実感がわいてこないのですが…。

真鍋 細胞レベルのシナプスの可塑性の話では、想像がむずかしいかもしれませんね。でも、いまは、分子レベルの働きを、直接、生物の行動に結びつけて、解析することが可能になっています。たとえば、神経伝達物質の受容体の一つを薬で働かないようにすると、長期増強が起こらなくなります。これで、学習能力がどうなったのか、調べてみるのです。動物をプールに入れて、水の中に隠れている足台を探す時間を測定する「水迷路実験」をすると、普通は何度も実験を繰り返すうちに、足台の位置を覚えて、時間が短くなりますが、長期増強が起こらないラットでは、成績が悪いことがわかります。

瀬川 分子と行動は結びつくというわけですね。遺伝子操作で、特定のたんぱく質を作らないようにする実験もありますね。

真鍋 歴史的には、米マサチューセッツ工科大の利根川進教授のグループが特定の酵素をつくれないようにすると、長期増強が起こらず、水迷路の実験成績が悪くなるという論文を脳分野で最初に出しました。これは、ノックアウトと呼ばれる方法で、生まれた時から、全身で特定のたんぱく質がつくれません。発生や発達に障害が出ることもあり、脳の特定の場所での特定のたんぱく質の働きを突き止めることはできません。
最近は、特定の時期に、特定の場所でのみ、特定のたんぱく質を働かせなくする方法が開発されました。これは、本当に遺伝子を「制御」して、実験をしているという感じです。分子の働きが次々と解明されてきています。

瀬川 分子の働きがすべてわかれば、記憶のしくみも解明されるんでしょうか。

真鍋 もう一段階、長期増強が起こっているときに神経回路レベルでどうなっているのかという問題があり、解明には技術的なブレークスルーが必要です。動物にナノテク素子を埋め込んで長期増強と神経回路と行動の関係を調べるといった、新しい方法論を開発したいですね。

瀬川 その結果を見たら、自分の脳の働きについて、実感がわくような気がします。最後に、現在のプロジェクトについて説明していただけますか。

真鍋 海馬の中で神経細胞が新しく生まれていますが、これが何をしているのかを突き止めたいと思っています。

瀬川 ストレスがかかると神経細胞の新生が起こらなくなるといわれていますね。

真鍋 はい。うつ病になると、神経細胞の新生は起こらなくなるが、薬で症状が回復すると、神経細胞の新生も戻るといわれています。神経細胞の新生が何らかの働きをしていることは間違いないのですが、何をしているのかよくわからない。

瀬川 状況証拠はあるが、実態は不明と…。

真鍋 まず、脳の中で、神経細胞が新生しているのは限られた場所です。一つが海馬。海馬の中でも、歯状回と呼ばれる場所です。ここは、大脳皮質から情報が海馬に入る入り口にあたります。

瀬川 目から入る視覚や、耳から入る音の情報は、それぞれの情報を処理する大脳の領域に入って、それから、海馬に送られる、その入り口にあたるのですね。

真鍋 大脳皮質から、ある場所を通って、海馬の歯状回に多数ある顆粒細胞という種類の神経細胞に伝わります。そこからCA3、さらにCA1という領域に入ります。歯状回でも長期増強があるという報告はありますが、あまり詳しく調べられていません。長期増強も含めて、歯状回はいったい何をしているところなのか、まずきちんと調べる必要があります。それではじめて、神経細胞の新生が、どのような役割を果たすのかがわかると思います。

瀬川 どんな可能性があるのですか。

真鍋 たとえば、生まれたばかりの神経細胞は、信号を抑制する働きは少ないといわれています。情報を伝えやすいものがたくさんある状態が、機能と関係しているのかもしれません。何が見えてくるか、楽しみです。

Interviewer
瀬川茂子

東京大学理学部卒、米マサチューセッツ工科大学科学ジャーナリズムフェローを経て、1991年朝日新聞社入社。科学部、科学朝日編集部、アエラ編集部などで、基礎科学、先端医療等を取材。現在同新聞科学医療部記者。著書に「不老不死は夢か 老化の謎を解く」(講談社 2004)「脳はどこまでわかったか」(朝陽選書 2005)がある。趣味は旅行。

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